春の宵に思う
4月3日日曜日までは、天候も不順で寒い日が続いていた。
漸く行楽地の桜が満開になったもののどれくらい持つか危ぶまれたが、
翌日から、気温も上がり、穏やかな晴天が続き、花見日和と言っていい日が続く。
次の日曜日までは持ちそう。
今年の入学式は満開の桜の下で迎えるところが多いだろう。
自分の入学式を思い出そうとしても、何一つ覚えていない。
桜で思い出すのは、4月12日の自分の結婚式披露宴の日が、桜の満開であったこと。
ホテルのロビーの窓から、満開の桜の下で、後楽園の前を多くの行楽客が行き来するのを見た。
今はどうか知らないが、私が就職した頃は、4月の第一土曜日に新入社員の歓迎会を兼ねた花見をする職場が多く、その席取りに新入社員が駆り出された。年毎に天候が異なって運の悪い時には、寒さに震えながら席取りをさせられた新入社員もいた。
コロナ禍ということも追い風になってそういう風習も次第に廃れつつあるのかもしれない。
「俳句と人間」長谷川櫂著、「『失われた時を求めて』への招待」吉川一義著と続けて岩波新書を読み終えた。
それぞれ読み応えし、次の読書へのいい足がかりになった。
他にも「『ニューヨーク・タイムズ』のドナルド・キーン」
「金子兜太 私が俳句だ」などを読みかけている。
これらの本は、これまでの読書の延長に位置するものだが、
そういうものとは別に、「菌類が世界を救う キノコ・カビ・酵母たちの驚異の能力」という新しい世界への誘いとなる本も読みたいと思っている。
ウクライナの悲惨な状況を思えば、ここはなんと平和なのだろう。
また、家族・家庭の中には、深刻な問題も今のところないのは、今の日本の状況を考えれば、恵まれている方だろう。
どれもこれも、先人たちの努力の賜物。
自分も次の世代の幸せの礎になるように心掛けねばと思う。
たいそうなことはできないが、
暮し方だったり、選挙投票だったり、日々の仕事や社会活動などでしか、できないが、
それでも小さな選択で少しの変化につながればと思う。