マルクスとの再会

一昨年から再開したTwitterで出会った本の中で、

私にとって最も強い印象を与え、

今なお注目され版を重ねている本がある。

斎藤幸平著『人新世の「資本論」』。

 

私が大学に入った1970年代初めは、

まだソ連も健在で、

大学の経済学も近代経済学マルクス経済学との二本立てであった。

近代経済学のテキストとして一般に知られていたのが、「サムエルソン 経済学」。

マルクス経済学のテキストの究極が「資本論」。

 

資本論」は読み始めは難しいが、後になるほど読みやすく、

一所懸命頑張って第一巻だけは、ひと通り読み通せた。

マルクスが富士山のようなのに対して、

近代経済学は、アダムスミスからケインズシュンペーターを経て、

当時意気軒高たるものがあったフリードマンに至るまで 、

数多くの経済学者による連山みたいな観があった。

 

しかし、これらの古典的な経済学に没入することは無く、

様々な問題に振り回され、雑多な本を読んで学生生活を送ることになった。

 

清水幾太郎著「倫理学ノート」から、ハロッド著「社会科学とは何か」に至る読書。

そして、宇沢弘文著「自動車の社会的費用」のインパクトで、

経済学を学ぶことに疑いを持ってしまった。

碌に勉強もできないくせに、最先端の学術に乗っかって随分生意気だった。

いつの時代にもいる生半可な学生が卒業して、

ソ連が崩壊したのは知っていたものの、

マルクスの「資本論」の研究がその後どうなっていたのかは、

知らずに40余年後経って、斎藤さんの本でマルクスに再会した。

 

斎藤さんの研究の礎になっているMarx-Engels-Gesamtausgabe(マルクス・エンゲルス・ゲザムタウスガーベ)は、私の大学在学中に刊行が始まっていたが、

全く知らなかった…

 

マルクスの研究がその後も続けられ、

あの頃とは異なった社会状況の中で読み直されて、

あれからますます行き詰った社会に重要な提言が出されている。

 

これもTwitterで知ったアルチュセール他著「資本論を読む」を紐解くと、

フーコーの名前まで出てきて驚く。

フーコーが日本で紹介されだしたばかりの頃をリアルタイムで知っていて、

あの現代哲学がここにつながっているのか!と…。

 

今現在、カール・マルクスを読むという事はどういうことか?

佐々木隆治著「カール・マルクス」その特に終わり当たりを読むと、

いろいろ頷かされる。

 

若い頃の学びは捨てずに大事にした方がいい。

思いもよらぬところで、再開するのだから。